猫はかつて神だった?Web屋が聞く、猫と人間の「多頭」にまつわる意外な歴史
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こんにちは!HPサポーターです。
普段はシステムの裏側ばかり見ている私ですが、活動をWebでサポートする中でずっと気になっていたことがありました。
「そもそも猫って、どうやって人間と一緒に暮らすようになったの?」
「昔も今みたいに、猫が増えすぎて困ることはなかったの?」
そんな疑問を解決すべく、今回もレスキュー猫の鈴に、猫と人間の1万年にわたる長い歴史について教えてもらいました。
実は、猫が「神様」として崇められていた時代から、猫の繁殖力は人間を驚かせていたようです。
今のTNR活動(不妊去勢手術)がなぜ必要なのか、そのヒントは意外にも古代エジプトにありました。
ちょっとした「箸休め」に、猫と私たちのルーツを一緒に覗いてみませんか?
1万年前からのスカウト?
猫が「家畜」ではなく「共生」を選んだ理由
猫と人間の付き合いは、約1万年前の古代メソポタミア付近(肥沃な三日月地帯)から始まったと言われています。
当時の人間が農耕を始め、蓄えた穀物を狙うネズミが現れたとき、それを追ってやってきたのが猫の祖先「リビアヤマネコ」でした。

他の家畜と違い、人間が無理やり手なずけたのではなく、「利害関係が一致したビジネスパートナー」として自ら近づいてきたのが、猫という生き物のユニークな点です。
1万年前からネズミ捕りという『仕事』をこなしてたんだね。まさに最古の業務委託契約…。
ふふん、僕たちは昔から自立したプロフェッショナルなの。でも、この『ネズミ捕り』としての優秀さが、のちに爆発的な数の増加を招くことになるニャ。
古代エジプトの多頭飼育事情。
神聖視されたゆえの「飽和」と「調整」
古代エジプトでは、猫は女神バステトの象徴として、現在では考えられないほど神聖視されていました。
家で飼っている猫が死ねば家族全員が眉毛を剃って喪に服し、猫を殺した者は死罪になるほど。
しかし、その手厚い保護と、猫本来の強い繁殖力が組み合わさった結果、神殿や街中には猫が溢れかえる「多頭状態」が日常的に発生していました。
そこで行われていたのが、若いうちにミイラにして神に捧げるという、現代の感覚からすると非常に複雑な「人口(猫口)調整」だったのです。

神様として大切にされていたはずなのに、増えすぎるとミイラに…。なんというか、現代の多頭飼育崩壊にも似た『出口のない保護』の悲しさを感じるね。
そうなの。当時は不妊手術なんてないから、増えるのを止める術がなかった。でも、この『爆発的に増える』という性質は、現代の日本でも全く変わっていないんだニャ。
日本の猫は「紐付き」だった?
江戸時代に起きた野良猫のパンデミック
日本に猫がやってきたのは飛鳥〜奈良時代と言われ、当時は経典をネズミから守るための貴重な「守護者」でした。
平安時代には、貴族の間で猫を紐で繋いで飼うのがステータスとされていましたが、大きな転換期は江戸時代に訪れます。
1602年、幕府は「ネズミ捕りのために猫を放し飼いにせよ」というお触れを出しました。
この政策により猫たちは自由を手に入れましたが、同時に町中で爆発的に繁殖し、現代につながる「地域猫・野良猫」の原風景が作られることになったのです。

へぇ、江戸時代まではお散歩紐をつけて飼われてたんだね!幕府の命令で放し飼いになったのが、今の野良猫問題の始まりだったなんて皮肉な話だな…。
そう。当時は『ネズミを捕ってくれる益獣』として歓迎されていたけど、管理されないまま増えていく歴史はこの時すでに始まっていたんだニャ。
聖なる動物から「魔女の使い」へ。
猫が迫害された暗黒時代
古代エジプトで神だった猫ですが、中世ヨーロッパでは一転して「魔女の使い」や「悪魔の化身」として激しい迫害を受けることになります。
キリスト教の台頭とともに、夜に行動し、集会(盛りの時期)で奇声をあげる猫の姿が、不吉なものとして恐れられたのです。

この時期、大量の猫が殺害されましたが、その結果として天敵がいなくなったネズミが爆発的に増え、ペスト(黒死病)の蔓延を招いたという皮肉な歴史も残っています。
猫を排除することが、かえって人間社会を崩壊させることを、歴史は証明しています。

神様から一転して悪魔扱い…。人間の勝手な都合で、ある時は拝まれ、ある時は排除される。猫の歴史って、人間の身勝手さの歴史でもあるんだね。
そうなの。でも、猫を遠ざけたせいで病気が流行ったのは、ある意味での『しっぺ返し』だったのかも。人間と猫は、適切な距離感で共生してこそ、お互いに幸せになれるのだニャ。
日本人と猫の「深すぎる関係」
名前・方言・ねこまんまの食卓史
日本人が猫をどう呼び、何を食べて共生してきたのか、そのユニークな文化を紐解きます。
猫(ねこ)という名前の由来は?
実は「ねこ」という名前の由来には、いくつかの面白い説があります。
もっとも有力なのは、一日の大半を寝て過ごす習性から「寝る子(ねこ)」と呼ばれたという説。
他にも、鳴き声の「ねうねう」に親愛を表す「こ」がついた説。
ネズミをじっと待つハンターの姿から「ネズミ待ち(ねずみまち)」が略されたという説。
名前の由来をたどるだけでも、猫が昔からどれほど人間の身近にいたかがわかりますね。
平安時代にはすでに「ねこ」と呼ばれていたらしいニャ。現存する日本最古の辞書の一つである『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(930年頃成立)には、はっきりと「猫:和名 禰古(ねこ)」と記されているニャ。
地域でこんなに違う?全国に広がる猫の呼び名
東北では言葉の末尾に「コ」をつける文化があり、「ネココ」や「ネゴ」と呼ぶ地域があります。
岡山や広島、九州の一部では「ネコヤ」や「ネコニャ」と呼ぶことがあります。
「ヤ」をつけることで、より親しみのある存在として扱われてきました。
沖縄では猫を「マヤー」と呼びます。
これは鳴き声から来ているという説が有力です。
石川などは鳴き声ではなく、呼びかけの言葉として「カカ」と呼ぶ地域も存在します。
岩手だと『ネココ』かぁ。なんだか響きが優しくて、雪国で大切にされてる感じが伝わってくるね。
沖縄の『マヤー』も可愛いニャ! 呼び方は違っても、日本のどこに行っても僕たちは人間にとって身近な『隣人』だったってことだニャ。
東と西で違う?「ねこまんま」に隠された猫と人間の食卓事情
東日本(主に関東)は、ご飯 + 鰹節(+醤油)
まんま(ご飯)の上に鰹節を踊らせたスタイル。
猫が鰹節を好むイメージから定着しました。
西日本(主に近畿・九州)はご飯 + 味噌汁
お行儀が悪いと言われつつも、汁をかけてサラサラと食べるスタイル。
残り物の味噌汁を猫のご飯に混ぜていた習慣が由来です。
かつては「猫には人間の残り物を」というのが当たり前だった時代の名残ですが、現代では栄養バランスや塩分の問題から、猫に本物の「ねこまんま」をあげるのはNGとされています。
関東と関西で違うんだ!僕は北東北だけど「ねこまんま」って言ったら味噌汁ご飯だったな~。鈴は『どっちも塩分高いからキャットフードにして!』って感じかな(笑)
まさにその通り!昔はそれが愛情だったかもしれないけど、今は私たちの健康を考えた美味しいフードがあるからね。でも、名前が残っているのは、それだけ人間と同じ食卓を囲んできた証拠ニャ。
歴史を繰り返さないために。
私たちが今、TNRで未来を変える理由
リビアヤマネコと出会ってから1万年。
人間と猫は、ある時は「神」として崇め、ある時は「益獣」として共生し、またある時は「悪魔」として排除してきました。
しかし、どの時代にも共通していたのは、猫の驚異的な「命を繋ぐ力」に対して、人間が適切な管理手段を持っていなかったという事実です。
江戸時代に放たれた猫たちが爆発的に増えたのも、中世ヨーロッパで猫を排除した結果ネズミが蔓延したのも、すべては「共生のバランス」が崩れた結果でした。
現代を生きる私たちは、歴史上初めて、手術という形で「命の数」を適切にコントロールする手段を持っています。
TNR(捕獲・不妊去勢手術・元の場所に戻す)は、単に「増えすぎたから減らす」ための作業ではありません。
これ以上、飢えや病気に苦しむ命を増やさないための、そして人間と猫が「隣人」として平和に暮らしていた歴史を、これからの未来に繋いでいくための、最も優しい「共生のルール」なのです。
1万年の歴史を振り返ると、今のTNRは決して特別なことじゃなく、長く続いた『人間と猫の試行錯誤』の最新の答えなんだって実感したよ。岩手でも川口でも、やるべきことは変わらないね。
そう。歴史の中で、人間は何度も失敗を繰り返してきたけれど、今はもう解決策を知っているはず。悲劇を繰り返さないために、まずは目の前の小さな命を止めることから。それが、未来の猫たちへの一番の贈り物になるニャ。