野良猫のTNR・保護の個人ボランティアのHP構築・運営していた管理者「ゆい」は動物が苦手!?その理由とは。

当サイト「結び-LINK」を運営している、Web屋のゆいです。
2026年2月頭まで、野良猫のTNRや保護活動を行う個人ボランティアさんのHPを構築し、運用協力を4ヶ月してきた。
公開からわずか3ヶ月で数百万円を超える寄付や、数えきれないほどの支援物資が届く「支援の輪」を目の当たりにし、Webの持つ力の大きさを改めて実感している。
…と、ここまで聞くと
「ゆいさんは、さぞかし動物が大好きなんでしょうね」
と思われるかもしれない。
正直に言うと。
実は俺、動物がめちゃくちゃ苦手。
「え、それでよく保護活動の支援なんてできたね?」
そう驚かれるのも無理はない。
今回は、俺がなぜ動物を苦手にしているのか、そして「苦手」なのに「なぜ支援の仕組み作りに情熱を注ぐのか」について、話しみようかと思う。
俺のルーツを、少しだけ覗いてほしい。
低学年の俺にとって
通学路は「戦場」だった
愛護動物保護活動者のホームページ構築と運用をしていたが、俺は今でも動物への恐怖がぬぐえない。
昭和の終わりから平成の初めにかけて過ごした故郷での記憶。

見るのは良い。猫も犬も可愛いなとおもう。でも近くにくると怖い。触ったり抱っこしたりできない。
通学路の恐怖。
ヨダレを垂らした野良犬たち

- 当時の田舎には、今では見かけない野良犬が当たり前にいた。
- ヨダレを垂らしながら低い声で唸る姿。
- 低学年の俺にとっては、それは可愛いペットではなく、命を脅かす猛獣そのもの。
俺の田舎では、当時、今と違って、通学路で野良犬に遭遇することも珍しくなかった。
うちはお袋も大の動物苦手。
当然、家でペットを飼うなんて選択肢は微塵もなかったから、俺には動物に対する免疫が一切なかった。

お袋も子供の頃にケツを犬に噛まれてから動物が苦手になったみたい。
そんな俺の前に現れる、薄汚れて毛並みはボロボロ、歯茎を剥き出しにしてヨダレを垂らした野良犬。
恐怖で反射的に逃げ出すと、犬はおもしろがってか余計に追いかけてくる。
あの吐息と背後に迫る獣の気配…。
通学路でヤツらに遭遇したら、その日はもう最悪の一言に尽きた。
学校の一大イベント!
俺には恐怖でしかない
授業中、どこからともなく現れた野良犬がグラウンドを全速力で走り回る。
それだけで教室中が騒然となり、勉強どころではなくなる。
それはまるで学校全体を巻き込む一大イベントのよう。
窓に張り付いてはしゃぐ友人たちを横目に、俺は
もしあの野良犬がこっちに来たら…。
ヨダレを垂らして走るその姿に、ただただ怯えていたのを覚えている。
逃げ場のない「外飼いの大型犬」の咆哮
当時の田舎は、今では考えられないくらい「外飼い」が当たり前だった。
それも、愛玩犬なんて可愛いもんじゃない。
番犬として飼われている、筋骨隆々とした大型犬たちが至る所にいたんだ。
そんなヤツらの前を通るたび、鼓膜を震わせるような猛烈な咆哮が飛んでくる。
ギリギリまで引き絞られた鎖の音を響かせ、今にもちぎれんばかりの勢いで突進してくるんだ。
鎖の限界、数センチ先まで迫る剥き出しの牙。
さらに最悪なのは、たまに「繋がれていないヤツ」がいたことだ。
境界線のない恐怖。
どこまで逃げれば安全なのかもわからないまま、通学路を全速力で駆け抜けるしかなかった。
免疫のない子供にとって、それはもはや「動物」ではなく、命を脅かす「獣(けだもの)」とのエンカウントだったんだ。

飼い犬が…何故!?
繋がれてない事が結構あった(涙
飼われてる犬だから人懐っこくじゃれてくるが、俺には恐怖でしかない。
段ボール箱の中に置き去りにされた子猫
犬を恐れていた一方で、当時の田舎では、道端に置かれた「箱に入った子猫」を見かけることも珍しくなかった。
人間がやったこと
段ボールに入れられた小さな子猫

- 震える子猫が「箱」に入っている。それは、誰かがわざわざそこへ運び、置き去りにしたという紛れもない事実。
- 当時は今ほど不妊去勢手術が一般的ではなく、「増えたから捨てる」という行為が、罪悪感を抱えつつもどこかで容認されていた時代。
- 子供心に感じたのは、捨てた人間への怒りよりも、そうせざるを得ない地域の状況への「違和感」と、目の前の命をどうすることもできない絶望。
連れ帰ったけれど、救えなかったあの日
一度だけ、箱を抱えて家に戻ったことがある、結局は飼うことができず、救い出すことは叶わなかった。

その記憶は、俺の中で長い間、動物との関わりを避けるための「心の蓋」になっていた気がする。
娘の送り迎えで、ふと目が合う「彼ら」のこと
時が流れ、俺も親になった。
毎朝、娘を保育園へ送っていく道すがら、ふと視界に入る猫たちがいる。
かつての俺にとって、野良猫や野良犬は単なる「忌避の対象」でしかなかった。
怖い。近寄らないでくれ。
そう思って目を逸らし、徹底した無関心。
動物たちがどんな環境で生きているのかなて、これっぽっちも興味がなかった。
けれど、個人ボランティアのHP構築・運用に深く関わるようになり、その「無関心の壁」は崩れていった。
画面越しに、そして打ち合わせの言葉の端々に現れるのは、あまりにも残酷な現実。
人間の身勝手でゴミのように捨てられ、病気や飢えに晒されながらも必死に生きる命。
そして、それを文字通り「命がけ」で守ろうとした善意の活動者たちが疲弊する世の中。
知らなければ、無関心のままでいられたのに。
そう思ったことも一度や二度じゃない。
でも、知ってしまった。
人間の身勝手によって生み出される、あまりにも理不尽で、不幸な命たちがいること。
そして、そのエゴが生み出した歪んだ社会問題に、同じ人間が「善意」だけで挑み、結果として疲弊し、搾取されていく世の中。
ボロボロになりながら現場で戦う活動者、その活動者を善意で支える協力者がその優しさゆえに追い詰められていく。
そんな不条理が、当たり前のようにまかり通っている。
触れない、飼えない。
だから「Web」で戦う。
今でも、俺は動物に触ることはできない。
急に動かれると反射的に身構えてしまうし、可愛がって抱き上げることも、ましてや家に迎え入れて最期まで面倒を見てあげることも、俺にはできない。
それは、幼少期のトラウマからくる、どうしようもない本能だ。
活動者として現場に立てない俺は、ボランティアとしては失格かもしれない。
だけど、「触れないから、何もしない」で済ませるつもりはない。
俺にも、できることはある。
それは、泥臭く戦っている善意活動者の想いを、一人でも多くの人に届けること。
これから活動を始める人が、過去の俺が見てきたような「疲弊」や「搾取」に飲み込まれないように、正しい情報を共有できる場所を作ること。
直接命を抱きしめてやることはできなくても、その命を守る「人」を支えることならできる。
それが、動物が苦手な俺がたどり着いた、「結び-LINK」という場所。

俺はこのサイトで、直接寄付を募ったりしない。プロのWeb屋として、有料でHP構築や運用のサポートを請け負うことはあっても、それ以上に俺が求めているのは「善意の活動者が、笑って活動し続けられる未来」。
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