
善意の崩壊プロセス-始まり
動物より人間だろ。Web屋の俺が持っていた冷徹な視点 かつての俺にとって、ボランティアは「遠い世界の綺麗事」でしかなかった。数字と効率を最優先するWeb屋の目に、その活動はどう映っていたのか。 「命を…
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一歩を踏み出した君の純粋な善意が、いつの間にか都合よく使われ、疲弊していないか?
ボランティアの現場には、正義や大義を盾に、善意を縛り付ける「言葉のボラハラ(ボランティア・ハラスメント)」が潜んでいる。
それは決してあなたの努力不足ではなく、健全な活動を阻害する明確なハラスメント。
この記事では、特に「言葉」によるボラハラの実態を共有していく。
ボランティア現場で感じるその「モヤモヤ」は、もしかしたら善意を逆手に取ったボランティアハラスメント(ボラハラ)なのかもしれない。
その実態を探り、自分を守るための視点を一緒に考えてみよう。

ゆいさん、ボランティアって素晴らしいことなのに、最近なんだか…活動に行くのが怖くなっちゃって。私の頑張りが足りないだけでしょうか?

ボランティア活動の現場で、以下のように自分を納得させて、息苦しさを飲み込んでしまってないか?
最初はみんな「誰かのために」「社会のために」という純粋な想いで一歩を踏み出す。
でも、活動を続けるうちに、ふとした瞬間に違和感を覚えることがあるかもしれない。
あれ、いつの間にか都合よく使われてるんじゃないか?
なぜ意見を言っただけで、こんなに責められなきゃいけないんだろう?
その違和感は、決してわがままでも、努力不足でもない可能性がある。
その正体は、もしかしたらハラスメントに該当するものなのかもしれない。
この記事では、俺自身の経験や調査した事例をベースに、「ボラハラ」と言われる実態について深掘りしていく。
ボランティアの現場には色々なハラスメントがあると思う。
ここでは特に「言葉によるボラハラ」について共有していきたい。
これからボランティアを始める方には、自分を大切にするための「知識」として。
いま現場で悩み、疲弊している方には、現状を客観的に見るための「ヒント」として。
そして、無意識に誰かを追い詰めてしまっているかもしれない運営側には、活動をより良くするための「自省の材料」として、この問題を共有してほしい。

ボランティア・ハラスメント…。そういう視点があると思うだけで、少しだけ心が軽くなった気がします。私だけじゃないのかもしれない…って。

うん。何が起きているのか、まずは落ち着いて一緒に整理してみよう。意外と、見えていなかった側面があるかもしれない。
言葉は時に、どんな労働よりも人を疲れさせてしまうことがある。
ボランティアの現場で飛び交う「善意」や「正義」をまとった言葉たちは、受け取る側にとっては逃げ場を奪う「鎖」に変わってしまうことがある。
ここでは、俺が実際に経験した事、調査で浮かび上がってきた事例をもとに、善意の活動者が知らず知らずのうちに追い詰められていく「言葉の縛り」の実態を共有したい。
もし、いま活動の中で「なんだか息苦しい」と感じているなら、それはあなたのわがままではなく、正義・大儀を掲げた言葉によるハラスメント。
ボラハラの渦中にいるサインかもしれない。
ボランティア(Volunteer)の語源は、ラテン語の「ボランタス(Voluntas)」だと言われている。
これは「自由意思」や「自ら進んでやる」という意味。
つまり、本来のボランティアは誰かに強制されるものではなく
自分の意思で、やりたいからやる
というのが大前提。
現代のボランティア活動における「4つの原則」というのも一般的に共有されている。

ボランティアの本来の意味や原則って、こうして見るとすごく自由で前向きなものなんですね…。

本来はそうだよ。この『大前提』を知った上で、ここから紹介する事を読んでみてほしい。本来は自由なはずの場所で、どんな言葉が、どんな風に人の心を縛り付けているのか。理想と現実を照らし合わせることで、大きな矛盾がみえてくるとおもうよ。
ボランティアの大前提である「自発性」を思い出してみると、そこには「自分の意思で関わり、自分の意思で断る自由」があるはず。
でも現実には、辞めたくても辞められなかったり、無理を重ねてしまったりする人が沢山いる。
調査で見えてきた「本来の自由な姿」を、大義や正義を掲げた言葉で縛り付けてしまう共通の悩みについて、大前提と照らし合わせながらまとめてみた。
あなたが来ないと、助かる命も助からない。
みんな私生活を犠牲にして頑張っているんだよ。
ボランティアなのに、自分の都合を優先するの?
参加したいって言ったのはあなたなんだから、最後まで頑張りなさい。
これらの言葉は、一見すると「活動への熱意」や「責任感」のように聞こえるかもしれない。
でも、言われた側はどうだろう。
胸がギュッと締め付けられて、逃げ場がなくなるような感覚にならないか。
本来、ボランティアは自分の意思で、できる範囲で協力するもの。
それなのに、「命、みんな、犠牲」という言葉を盾にされると、自分の生活や心を守ることが、まるで「悪いこと」のように思えてきてしまう。
こうした言葉の重みで相手を追い詰めてしまう状態は、もしかしたら「ボラハラ」の一歩手前、あるいはもう、その渦中にいるサインなのかもしれない。
誰かを引き合いに出されて疲弊したことはないか。
〇〇さんは、もっと大変な状況でもやってくれたけどな。
あの人は仕事が忙しくても来たけどね。
あの人は家族の介護があっても休まなかった。
〇〇さんは『NO』なんて言わなかったよ。活動への愛があるからね。
〇〇さんはボランティアの鏡だね。
私は家事も高齢の親の面倒もみてるけど時間を作って活動している。
こうした比較は、職場や学校でもよくある光景かもしれない。
でも、ボランティアの現場でこれが起きると、少し話がややこしくなる。
なぜなら、そこには「命」や「社会貢献」という、否定しにくい大きな正義や大儀が乗っかっているから。
仕事であれば、給料や契約という割り切りもできる。
でも、ボランティアで誰かと比べられると
「断る自分には愛がないのか」
「自分は命を軽視しているのか」
という、自分の人間性まで否定されたような、やり場のない苦しさを感じて疲弊してしまう。
特にたちが悪いのは、自分の私財を投げ打ち、時間も命もすべてを懸けて活動している人たちかもしれない。
私はこれだけ犠牲を払ってやっている。
なのに、あなたはどうして協力してくれないの?
そんな風に、自分の覚悟を「標準」にして、他人にも同じレベルの自己犠牲を求めてしまう人。
でも、ボランティアへの関わり方は人それぞれのはず。
自分の人生を懸けている人の情熱は立派かもしれない。
だからと言って、それを振りかざして他人の境界線に土足で踏み込むのは、やっぱり何かが違う。
こうした誰かを引き合いに出して強制したり、自分を標準にして相手に同じことを求める事も、もしかしたら「ボラハラ」なのかもしれない。

『私はここまでやってるのに』って言われると、もう何も言い返せなくなります…。その人のすごさを知っているからこそ、断る自分がすごく薄情で、ダメな人間に思えてきちゃって。

うんわかる。でも、ボランティアの前提を思い出してほしい。ボランティアは『自由意思』であって、誰かの『自己犠牲のレベル』に合わせる競技じゃない。その人が人生を懸けているのはその人の自由、それを他人にまで強要した瞬間に、それはもう善意の活動じゃなくて『強制』になってしまう。

相手に『正義』があるからこそ、余計にたちが悪いんですね。仕事なら『それは私の業務外です』って言えるのに、ボランティアだと『愛がない』って心の領域まで踏み込まれてしまう…。

そう。だからこそ、自分の境界線を守ることが大事。情熱的なリーダーや『鏡』と言われる誰かと比べて自分を責める必要なんてない。協力者には自信の生活があって、意思もある。それを無視して土足で踏み込んでくる言葉は、たとえどんなに立派な大義名分を掲げていても、やっぱり『ボラハラ』になると俺はおもう。
ボランティアの現場を調べていくと、女性が多く活躍しているコミュニティが数多くある。
そこにはお互いを支え合う素晴らしい絆がある一方で、一度「空気」が歪んでしまうと、途端に抜け出しにくい場所になってしまう側面もあるみたいだ。

私がボランティア先で会った人たちも、疲弊しているのは女性が多かった。断りたくても『角が立つから』って、無理に笑顔を作っていて…。

精神的に追い詰められているのは女性の方が多いと思うよ。女性同士のコミュニティだと、誘いを断ることが相手を否定するように感じて、どうしても『NO』が言いにくくなるのかな。
入り口は軽いお誘いだが出口は重い
最初は気軽な気持ちで一歩を踏み出したはずなのに、気づけば逃げ場がなくなっている…そんなケースが目立っていた。
若い頃の友達グループ、ママ友、近所の付き合い、そしてシニア世代の集まり。
女性の人生には、常にこうした「コミュニティ」が並走していることが多い。
ボランティアもその延長線上になりやすくて、一度入ると「コミュニティ内での自分の立ち位置」を気にして、嫌なことでも飲み込んでしまう傾向があった。
働き盛りの男性であれば、嫌なことは「効率が悪い」と切り捨てたり、目的のために一人で動くこともできる。
でも、女性特有のコミュニティでは「みんなと一緒にやること」自体が目的になりやすくて、一人の勝手な行動が許されないような同調圧力が生まれやすいのかもしれない。
一度コミュニティに入ると、今度は「抜ける」ことが、誘ってくれた人や仲間を否定するような重い決断になってしまう。
これは特に、女性が多いボランティア現場、例えば動物愛護などの活動で主婦層が疲弊している大きな原因になっていると感じた。
男性であれば、活動の内容や効率を見て「自分には合わない」とドライに割り切って辞めることもできるかもしれない。
でも、女性特有のコミュニティでは、辞めることが、そこにある「人間関係の拒絶」だと受け取られてしまう怖さがあるんだとおもう。
そんな風に周りを気遣う優しさが、気づけば自分を追い詰める鎖に変わってしまう。
自分を犠牲にしてまでコミュニティの和を守ろうとする、女性ならではの「情の深さ」が、結果としてボラハラを受け入れざるを得ない状況を作っている側面があるのかもしれない。

すごく分かります…。私が辞めたら、残された人たちに『裏切り者』って思われるんじゃないかって、そればかり考えちゃって。犬や猫は助けたいけど、この人間関係からは逃げたい。その板挟みが一番きつい。

特に動物愛護の現場は、命が関わっているから余計に『情』が強く働きやすい。でも、君が壊れてまで守らなきゃいけないコミュニティなんて、本当はないはずなんだ。周りを気にする優しさは素晴らしいけど、それを自分を傷つける刃にしちゃいけない。俺はそう思う。
意識が高いね。
将来の役に立つよ。
就職に有利だよ。
その期待がいつの間にか「断れない重圧」に変わってしまうことがあるみたいだ。
君の成長のためだから。
人手が足りないだけの作業や、運営がやるべき責任が重すぎる仕事を任されてしまうケースがあるみたい。
成長は自分のペースでするものなのに、いつの間にか「ガマンすること」が成長だと教え込まれているのかもしれない。
今ここで辞めたら、どこに行っても通用しないよ。
就活で不利になるよ。
将来の不安をあおるような引き止め方をされることもあるみたいだ。
就活を控えた時期だと、活動を辞めることが自分の評価を下げることのように思えて、怖くなってしまうことも。
若いんだからこれくらいできるでしょ。
自分たちが若い時はもっとやってた。
体力や時間を限界まで使わせる無茶振り。
学生にも学業や私生活があるはずなのに、それを無視して「若さ」をタダの資源のように扱うのは、本来のボランティアの姿とは違う気がする。

私も『今の苦労が将来の糧になる』って言われると、自分が甘えているだけなのかなって不安になります。辞めたいって言うのが、逃げているみたいに思えて……。

成長の形は人それぞれ。誰かに決められるものじゃない。もし、活動が自分の心や時間をただ削っているだけだとしたら、それは『経験』じゃなくて、ただのボラハラによる搾取なのかもしれない。一度、さっきのボランティアの前提を思い出して、自分を大切にする選択肢を考えてみてほしい。
俺が約4ヶ月間の協力で得た、血の滲むような教訓を共有する。
もし君の周りにこんな振る舞いをする人がいたら、どんなに立派な理念を掲げていても、すぐ距離を置くことを勧める。

以下は俺が実際に協力した活動者の言動や行動を共有する。
こちらの提案や指摘に対して、その場では「うん!うん!そうだよね」「わかった!わかった!」と調子よく返事はする。
でも実際には何も変えないし、聞いちゃいない。
都合が悪くなると、すぐさま「想い」や「理念」を引っ張り出してきて、議論を煙に巻く。
対等な対話ができない相手と、健全な活動なんて無理。

ボランティアとか関係なく空返事ばかりの人は信用されないよな。
俺は無償で協力している。
本来はこっちの提案をのむのが常識。
なのに、こちらの提案や状況はすべて無視して、「あれやって」「これ急ぎで」と自分の要望だけを平気で投げつけてくる。
自分の立っている場所が「正しい」と信じ込んでいるから、他人のリソースを奪うことに罪悪感なんてない。

これエグイ。俺はこの人の常識を疑う。俺は社員でも何でもない。それなのに、私用とかまで平気で頼んでくる。多分こんな人は、人からやってもらう事に慣れ過ぎて、人の迷惑なんかこれっぽちも考えてない。
最近のボランティア現場で特に増えているのが、この「SNS依存型」の自己愛者。
フォロワーが増え、称賛コメントが並ぶようになると、活動者は自身が「正義そのもの」になったような錯覚に陥る。
こんな人は、協力者に感謝の言葉は言うけど実際は
私の素晴らしい活動を手伝わせてもらっているんだから、光栄に思いなさい。
本音はそれ。

素性も知らない、遠くの1万人を信じて舞い上がり、無償で協力する1人を切り捨てる。そんな人には絶対に関わらない方がいい。結局は自分の事だけしか考えてない。
本来、守るべき命の重さを知っているなら、それを支える協力者や支援金の透明性に対して、誰よりも謙虚で誠実であるべき。
それなのに、自分の非を指摘された瞬間に「命」を盾にするのは、自分が守っているはずの対象を、自分を守るための「道具」にしているのと同じ。

都合が悪くなると命を盾にする。支援を募る時は振りかざす。自分のために命を道具にする人には絶対に近づかないほうがいい。
構築・運用を無償で4ヶ月。
ホームページ公開3ヵ月で支援者300名以上、寄付金数百万、溢れる支援物資。
俺の善意の協力が崩壊した事実を綴った記事は以下に置く。

俺の場合はボランティアではなく協力者として個人ボランティアに関わった。俺が目の当たりにした事実もみんなの参考になれば嬉しい。

動物より人間だろ。Web屋の俺が持っていた冷徹な視点 かつての俺にとって、ボランティアは「遠い世界の綺麗事」でしかなかった。数字と効率を最優先するWeb屋の目に、その活動はどう映っていたのか。 「命を…

1万人以上のフォロワーそれでも「持ち出し」で活動し続けていた理由 フォロワー数は、必ずしも支援の額に比例しない。足りなかったのは「熱量」ではなく、見ず知らずの誰かが「この人なら託せる」と思えるだけの、…

「無償」に込めた数十万円の先行投資。プロが心血を注いだ『救命の器』とその対価。 俺がこの活動者に協力したのは、単なる空き時間の「ボランティア」ではない。自社開発の有料テーマを無償で提供し、数十万円相当…

しゃしゃりの出現それは「些細な誤字指摘」から始まった 数百万円超という数字と、圧倒的なWebサイトの運用実績。その「光」が強くなればなるほど、どこからともなく、自分を「善意の協力者」だと思い込んでいる…

新年のビジョン。守られなかった「透明性」という約束 2026年の幕開けとともに、俺はさらなる勝負に出るつもりだった。11月からサイト公開してで百万円以上の寄付を集めた実績を武器に、俺自身も表に出て企業…
ボランティアや協力者の善意を、自分の都合のいい「道具」にしてはいけない。
ましてや、一部の自分勝手な団体や活動者のエゴを支えるために、誰かが疲弊し、搾取される世の中なんて、俺は絶対に認めない。
だから、あなたが現場で感じた違和感や、実際に受けた理不尽な経験を結び-LINKで発信させてほしい。
寄せられた情報は、これから活動を始める人にとっては、身を守るための「盾」になる。
そして何より、いま善意を搾取している身勝手な団体や活動者たちへの最大の警告になる。
みんなで現場のリアルを共有し、可視化していこう。
善意が使い捨てられず、互いのリスペクトが守られる健全な世界を、一緒に作っていこう。

個人情報はプロとして慎重に扱います。匿名でもかまいません。あなたの声でみんなの善意を一緒に守りましょう。
結び-LINKでは、ボランティアのリアルを自身の言葉で発信し、共にサイトを作り上げてくれる投稿者を募集しています。
現場で感じた課題、成功体験、あるいは今の業界に必要な提言など、あなたの「視点」を記事として形にしませんか?
「伝えたい想いがあるけれど、自分のSNSだけでは限界がある」
「より多くの人に届けたい」
という方の参加をお待ちしています。
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